財務省の矢野康治事務次官のような財政均衡論を主張する方々の精神構造はどうなっているのか、非常に興味深い。京都大学大学院教授の藤井聡氏をはじめ多くの方々が、「彼らは国民をだましている、国民は経済が分からないと馬鹿にしている」と非常に怒っているが、実際はどうであろうか?
仕事柄、数多くの東京大学の出身者との付き合いがあった。東京大学に合格できる方々は、頭の回転は滅茶苦茶に速い。記憶力は抜群に良い。教師、教授等から教えられたことへの理解力も極めて高い。
しかし、権威に弱く、本当に自分の頭で考えない傾向があるのではないか。教師、教授、上司といった権力者、権威に素直に従う。おそらく、明治維新の後、中央集権国家体制の強化のために(このことを批判しているわけではない)東京大学があったから、そのような思考の人物を育成してきたのではないかと思う。
余談だが、だから東大からノーベル賞の受賞者が出にくいのでは。ノーベル賞級の研究はこれまでの権威を覆す発想が必要なはず。東大のように教授の後継者として若くして研究職につく制度では革新的な発想ができにくい。
私は、矢野事務次官の主張は本音だと思う。矢野氏なりに国を憂いているのだろうと思う。矢野氏は財務省の「財政均衡論」という考えを、財務省での仕事を始めたときから上司や周りの職場環境の中でたたき込まれ、それが、自分の信念として凝り固まっているのではないか。
共産党員が共産主義思想にとらわれているのと同様に、多数の財務省の官僚は財政均衡論の理論、イデオロギーにとらわれている。日本共産党の構成員は党首の志位和夫氏をはじめ、幹部は東京大学の卒業生が多いが、頭がいいからといって、正しい見識、考えを持ち、行動できるとは限らない。イデオロギーに固まると、正しい判断、柔軟な考え、施策がとれなくなる。
高校生の時、城山三郎の伝記小説『男子の本懐』を読み、とても感動した。その小説は、「第一次世界大戦後の日本は慢性的不況に苦しんでいた中、首相・浜口雄幸と日銀総裁を経験した蔵相・井上準之助は、困難を乗り越えるため金解禁と緊縮財政政策を断行する。しかしそれは軍縮を伴うものだったため、二人は軍の一部から反発を買い、相次いで右翼に襲撃されて命を落とす。政治家としての「本懐」を描き、人の生き方と政治のあり方を問いかける」という内容である。
国のために浜口雄幸、井上準之助は命がけで、自分の信念を貫いた。首相・浜口雄幸と蔵相・井上準之助は、志、勇気があり、すばらしい人物だと思う。しかし、金解禁、緊縮財政政策は間違っていた。誤った政策遂行のせいで、日本の社会は更に苦境に陥った。
矢野事務次官は、首相・浜口雄幸と蔵相・井上準之助に似ている、矢野事務次官の愛読書は『男子の本懐』かもしれない。機会があれば、尋ねてみたい。
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